井上酒造株式会社は、宮崎県南部に位置する日南市で明治27年から酒づくりを営む伝統ある酒造メーカーです。
昭和58年に日本初の「減圧蒸留」という手法を100%使った芋焼酎を発売したり、豊かな湧水を使ったチョウザメ養殖で国産キャビアを開発したりなど、時代に合わせた変革を得意としています。
同社の三代目社長である田中範佳さんと専務の寺田和弘さんに、芋焼酎づくりの現場から見たサツマイモ基腐病の現状をうかがいました。
――井上酒造がつくられている芋焼酎の特徴をお聞かせください。
田中氏:「飫肥杉」(おびすぎ)という銘柄の芋焼酎をつくっています。仕込みに使っているのは樹齢数百年と伝わる樫の木の根本から湧き出す水で、この湧水は「宮崎の名水21選」にも選定されています。蒸留機の中を真空にする減圧蒸留という手法で醸造しており、芋焼酎とは思えないような爽やかで雑味のない、飲み心地のよさが特徴です。
通販も含めて日本全国に出荷していますが、売上の半分近くは九州エリアへの出荷です。そのうちの多くは、地元の宮崎県で飲んでいただいています。
芋焼酎の原料の9割は「コガネセンガン」という品種のサツマイモを使っています。その他に、「べにまさり」や「べにさつま」などの紅芋系を品種にはこだわらずに使っています。サツマイモ基腐病が登場する以前から、病害などで計画に沿った品種や量を仕入れられないことがあったため、仕入れ状況に合わせて柔軟に対応できるようにしてきました。
――サツマイモの調達はどのようにされているのでしょうか。
田中氏:仲買業者さんを通じて仕入れています。サツマイモ基腐病によってイモの収穫量が激減したことで、仕入れには大きな影響がありました。特にコガネセンガンは基腐病の被害が大きく、収穫されたイモの量がとても少ないので、必要としている酒造メーカーに十分に行き渡っていません。
――サツマイモ基腐病は、早めに収穫を行えば病気の発症リスクを抑えられるそうですね。そのため、以前よりも早掘りが盛んになっています。
田中氏:早掘りということは、イモがまだ十分育っていないうちに収穫するわけですから、畑あたりの収穫トン数は下がります。どんどん前倒しで収穫してしまうので、シーズン後半には掘れる畑が残っていないといった状況となり、後半の芋焼酎造りに影響が出てしまいます。
――2019年頃からサツマイモ基腐病の被害が拡大しましたが、井上酒造にとって一番影響の大きかった時期はいつごろでしょうか。
田中氏:年を追うごとに影響は大きくなっています。2019年には必要な量のサツマイモを確保できていたのですが、その後はどんどん調達が難しくなり、計画の7割程度しか芋焼酎を製造できなくなりました。余裕をもって貯蔵していた分の焼酎も減ってきていて、いよいよ来年の貯蔵量はどうなってしまうかという状況です。
寺田氏:どこの蔵元さんも工夫を凝らし、多様な品種を使ってバラエティ豊かな芋焼酎をつくられていますが、主力商品となっているのはコガネセンガンを主原料とした焼酎です。当社のメインブランドである「飫肥杉」もそうです。当然、どの蔵元もコガネセンガンを必要としています。基腐病による供給不足のため、必然的にイモの仕入単価は上昇し、以前の1.5倍ほどまで値上がりしました。
――原料価格の上昇を、販売価格に反映することはできないのでしょうか。
寺田氏:大手メーカーさんの価格改定のタイミングに合わせて、当社も2022年10月に焼酎価格を値上げしました。原料のサツマイモだけでなく輸送費や光熱費なども高騰している状況ですが、アルコールのような嗜好品はなかなか値上げを受け入れていただきにくい。中小の酒蔵が率先して値上げをしても、買い手はつかないでしょう。大手メーカーさんと足並みを揃えて価格改定するしかないというのが現実です。
ただ、本来は芋焼酎というのは、晩酌などで日常的に飲んでいただく大衆酒。だからこそ気軽に買えないような値段になってはいけないという思いもあります。皆さんに適正価格で楽しく飲んでもらいたいと考えています。
サツマイモ基腐病をきっかけに、イモづくりから離れた農家さんも多いそうです。以前から高齢化や後継者不足の問題があったところへ、基腐病が蔓延してしまいました。対応するためには大型重機を使って土壌改良をしたり新しい苗を仕入れたりと、手間も費用もかかります。続けられずに辞めていく農家さんが増えれば、当然サツマイモの収穫量はさらに減るでしょう。するとまた原料価格の上昇につながります。
ですから、我々も一日も早いサツマイモ基腐病の解決を願っています。完全な解決が難しいのであれば、コガネセンガンに代わる新品種が安定して供給されるのを待つしかありません。
――サツマイモ基腐病への耐性が強く、コガネセンガンに近い風味などを持つ品種「みちしずく」が開発され、生産が始まっています。井上酒造でも焼酎原料にする予定はあるのでしょうか。
田中氏:たしかに「みちしずく」には期待していますが、まだ生産量が少なく、安定供給されているわけではありません。農研機構の分析した成分表などは確認していますが、実際に自分たちで仕込んだ焼酎を飲んでみないことには判断できないというのが正直なところです。
――みちしずくが発表されたのは2022年6月で、今年はまだ本格的な生産には至っていませんね。普及にはまだ何年かかかるといわれています。
田中氏:みちしずくが安定して手に入るようになれば、みちしずく100%でつくる焼酎と従来のコガネセンガン100%で仕込んだものを比較してどのくらい違いがあるのか確認し、ブレンドなどで風味を調整していくことになると思います。
当社では麦焼酎やデーツ(なつめやし)の焼酎なども製造・販売していますが、なんといってもメインブランドである芋焼酎を安定供給していくことを一番に考えています。当面は、仲買業者さんとも相談しながら、原料の確保に奔走することになりそうです。
――今回、SAVE THE SWEET POTATOへの参加を表明していただきました。
田中氏:当社はサツマイモを生産しているわけではないので、どういう協力の仕方ができるだろうかと考えていました。ただ、ひとつ言えるのは、焼酎というのは伝統文化だということです。焼酎文化を守っていくことは我々の使命であり、それはサツマイモそのものを守ることにつながるのだと思います。
――さまざまな立場でサツマイモに関わる人たちが、このプロジェクトを通してそれぞれの現状を伝えていくことに意義があると考えています。企業規模や業種に関わらず、サツマイモ産業全体が今どんな状況にあるのかを発信していきたいです。
田中氏:サツマイモ基腐病の問題は、南九州に住む人たちにとっては身近になってきていますが、全国の消費者のみなさんにとっては違うのかなとも思います。スイーツや焼き芋など青果用のサツマイモはたくさん流通しているように見えるので、焼酎用のコガネセンガンが大変だといっても実感を持っていただけないかもしれません。
私も焼酎は大切な伝統だと思っています。サツマイモをつくってくれる農家さんがいなければ、我々は焼酎を作ることができません。地域に根づいた文化を衰退させることのないよう、新しい取り組みも含めて中身の濃い仕事をしていきたいですね。
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